Hello world!nora3です。
前回はちょっと雑談で「自分が変われば世界が変わる」というお話をしました。
今回から、また演じるための準備の準備の話に戻りたいと思います。
身体的準備の③「ニュートラルな身体を手に入れる」ですね。
②の「柔軟性に富んだ身体」とややかぶる部分もあるんですが、「ニュートラルな身体」というと、みなさんはどんな身体をイメージするでしょうか?
辞書でニュートラルを引くと「中間的」とか「中立的」、「どちら側にも付かないこと」などと出てきます。俳優が「色々な役を演じる」ことを前提とする以上、いつもゴール地点は違っているわけで、そこに限られた時間で辿り着くためには、スタート地点は自分から放射線状に広がる様々な役へのアプローチの中間地点に、中立的にとっておくのが良い方法だと思います。
別の言い方をすれば、「色を付けない」「型にはまらない」と言うことですが、解釈によっては「平凡」「目立たない」「没個性」などにつながると思う人がいるかもしれません。
「え?俳優って個性的じゃないとダメじゃないの?」
「キラキラ輝いてて街でもメッチャ目立つような人がスカウトされたりするじゃん?」
と言う声が聞こえてきそうですが、まあ、もうちょっと続けます。
「演じること」には二つの側面があって、一つは「俳優という職業」としての面、そしてもう一つが「演じるという実作業」の面です。この二つは実は似て非なるもので、時によっては全く別物と言える場面も少なくありません。
「俳優という職業」には、ぶっちゃけ「持って生まれたもの」や「磨き上げた容貌や身体」「洗練されたファッションセンス」「好感度の高い言動」「業界での顔の広さ」などが実際に大きく影響します。そういった、言うなれば「特別で他とは違う目立つもの」がなければ、職業として俳優を続けていくことは難しいかもしれません。
しかし、「演じるという実作業」には、上記のような特徴は全く必要ありませんし、逆に邪魔になる場合が大いにあります。例えばわかりやすい例で言うと、身長ひとつ取ってもそうです。
故松田優作さんは僕の好きな俳優さんで、演技を始めるきっかけになった人の一人なんですが、彼は185センチくらいの身長があって足が超長くてスラっとしていて、ファンとしてはそういうルックスに憧れたものですが、彼自身はそのことで悩んでいて、実際に足を20センチほど切断したいと考えていた、と本で読んだことがあります。身長の高い人は、それだけで身長の低い役はできません。例えば、街に溶け込んで全く目立たない不気味な犯罪者を演じたくても、高い身長のせいで目立ってしまうわけです。
だからといって、実際に足を切ることをお勧めしているわけではありません。まあ、美容整形なんかもだいぶ市民権を得てきたこともあり、似たようなことをやっている人もいるかもしれませんが、大抵の場合それらは「目立つため」「特別になるため」に行われる場合が多いと思うので、ニュートラルな体を手に入れることとは違います。
「ニュートラルな身体」と「柔軟性に富んだ身体」は、ワンセットです。
「色が付いておらず、型にはまっていない」からこそ、「柔軟な変化」が可能で「どんな形にもなれる」わけです。
「水」をイメージしてもらうのが一番いいと思います。
「水」って、ニュートラルなイメージじゃないですか。無色透明で、無味で、常温で、無形で。放っておけば蒸発するまでそこにじっとしているし、主張が無い感じで。
では、「水」は平凡でしょうか?目立たなくて、没個性ですか?
そんなことないと思います。水はどこにでもあるけれど、なぜか平凡じゃない。水自身は主張しないのに、なぜか常に存在感があり、いつも魅力的です。
そして、変化する。水の変化のバリエーションは無限です。どこに注ぐかによってどんな形にもなる。どこにでも流れ込み、清浄にも泥水にも汚染水にもなる。混ぜるもので何色にもなり、無臭かと思えば混ぜるもの次第できつい匂いを放つ。どんどん冷たくなって液体から固体へ楽々変化したかと思えば、今度はどんどん熱くなって液体をやめて気体に昇華する。気体になれば雲と呼ばれ、雨となって地に降り、地下水として森を育て、河となって旅をして、海となって命を生む。水溜りや側溝の底の忘れられた水から、抜群の存在感で街ごと流し去るような鉄砲水やゲリラ豪雨や津波まで、水は文字通り「変貌」「豹変」します。
これらの変化は、水があらゆる意味で「ニュートラル」だからこそ、可能なのだと思います。
水じゃなくてもいいんです。「お米」だっていいですよ。白米がなんでカレーにも焼肉にもお寿司にも合うのか?「ニュートラル」だからおいしく変化できるし、コーラをかけて黒マズくなるのだって変化です。
「ニュートラル」とは、平凡とも没個性とも違います。目立つ目立たないとも無関係です。
言うなれば、個性の違いです。
「人とは違う強烈な個性」を求められる「俳優という職業」でも、「演じるという実作業」を長期にわたって継続していくためには、結局日常的に「ニュートラル」を心がけることが必要になってきます。成功している素晴らしい俳優さんの中には、「職業」は「職業」として真摯に取り組みながらも、注意深く「特別であること」を自分の生活から排除したり抑制したりしている人が多いような気がします。
「ニュートラル」な身体的個性とはなにか、についていつも考え、自分がそうあれるように努めましょう。それ自体が効果的な訓練になるはずです。
「水のような人」になれるよう、イメージするといいかもしれません。
没個性とか無主張とかとは違う、爽やかで透明感があり、伸びやかで包容力のある、親しみやすいキレイな人物が頭に浮かびませんか?
炭治郎に「水の呼吸」を習うのもアリかも。いやマジで。
では本日これでサラバでござる。