Hello world!nora3です。
演じるための「準備の準備」と題して、全8回ほどアレやコレや書かせていただきました。
本日はその総括というか補足というか、まとめとしてもう少し書いてみたいと思います。
演じるための準備といえば、台本を読んでセリフを覚えたり、役作りをしたりという事になるわけですが、それは台本をもらって自分の役が決まった後の話であって、それ以前のまだ次にどんな役を演じるのかわかっていない時間というのが、俳優の生活には意外とあるものです。
そういう「日常」というか「普段の生活」の時間を、演じる人はなにを心掛け、なにを準備して過ごすべきでしょうか?という事について僕なりの考えを書いたのが、この「準備の準備」編です。
これは演じる人達のためのものですけれど、まだ本格的な演技に入る前の「心と身体を整える」段階ですので、演じる人達のみならず、特に演じたりしない一般の方々にも、充分効果というか、効能が期待できるものです。
色々な事を書いてきましたが、その本質を分かり易い言葉で一言で言えば、「水のような人」になり、その状態をキープする事です。
「水のような人」と聞いて、あなたはどんな人をイメージするでしょうか。
純粋で、素直で、透明感があって、穏やか。周りの人を癒すけれども、主張は強すぎず、しかもシンプルで確かな存在感があって、いつも静かに微笑んでいる・・・そんな人になれたら素敵だと思います。
そしてこの人には、ちょっと底が見えないくらいの深さと、ある種の恐さも備わっています。
「水」の恐さ。それは「変貌」する恐さです。
穏やかな流れが濁流に「変貌」し、全てを飲み込み流し去る。水道の蛇口から出る水や水槽で金魚を育む穏やかな水と、台風や津波で甚大な被害を出す水。どちらも同じ水です。透明だからこそ容易く濁り、色が付き味が付き、冷えて氷になったかと思えば沸騰して蒸発し、触れば火傷し、火傷を冷やすのもまた水。どんな入れ物にもすんなり入り、どんな形にでもなる。平気で太平洋にもトイレの水にもなり、ちゃんとそれらしい佇まいでそこにいる。ほとんど変幻自在です。
これが、演じる人が「水のように」いた方がいい理由です。ニュートラルな心と身体でいるからこそ、何者にも変貌できる。イマジネーションというスイッチによってリミッターが外れて、同質だけれども全く違う、何者が出現する。変質して別人になるわけではなく、同質な自分自身が変貌するわけです。水のように。
そして、嵐のような「変貌の時」が過ぎ去れば、また静まり返った水面の様に、景色を映し、季節を映し、落ち葉が落ちれば波紋を作って、ただヒタヒタとその場を満たしていればいい。
常に変貌の予感を底に漂わせながら、ただ静かに、ただ居ればいい。
演じる人の日常は、そうあるべきだよなぁ。
と、僕は思っているんです。