演技と読書のムフフ♡な関係

演技の方法/訓練
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Hello world!nora3です。

いやあ、すみません。

なんかいきなり謝っちゃってますが、前回個人的好奇心を満たすためのヤらしい実験を敢行して、見事玉砕したnora3です。

やっぱり世の中そんなに甘くないんですねえ。

学びましたよハイ。

 

 

というわけで、気の迷いを振り払い、理性を取り戻し、本来の堅実なスタイルに回帰することにいたしましょう。

このところ「演技的雑談」ということで色んなドラマや映画での俳優さんの演技を取り上げてアレコレ語り散らしてきたわけですが、ここいらで本来の「演技の方法/訓練」に立ち帰って、良い俳優になるため、良い俳優でいるためのノウハウについてゆるゆると書き進めてみたいなと思っております。

で。

ヒョンビンさんのステキな読書姿から始まりましたけども、今回は「俳優と読書のムフフ♡な関係」について語ってみたいと思います。

なんかいまいち理性を取り戻しきれてないような題名ですが、大丈夫です。取り戻してます。

俳優の「たしなみ」として、「読書」はとってもおすすめですよ、という話は前にも少し書いたことがあるので、合わせてお読みくださいませ。

 

 

さて。

なぜ読書がそんなにおすすめなのか?

これはですねえ、もう、山ほどの理由があるんですが。

まず第一に、俳優の仕事というのは、周囲の状況であるとか、目の前の相手とか、とにかく身の回りの何かに影響を受けて変化することが求められるわけで、その変化がまさにその瞬間の「演技」ということになるわけですが、その肝心の「周囲の状況」というのが、映画やドラマや舞台の場合、「現実ではない」場合が多い。

セットだってハリボテだし、映ってないけどスタッフが周りにワンサカいて、照明だって熱いくらいに当たってるし、だいたい刑事役でもホントは刑事じゃないし、目の前の恋人だって実は他人だし、しゃべってる言葉だって自分の脳から出てきた風にしゃべってるけど実は台本に書いてあったのを覚えたんだし、犯人に撃たれて死んだってカットがかかればフツーに起き上がって打ち上げに行くんだし。

そういう「困難な状況」の中で、それでもドラマの設定を「信じて」その設定の中で「生きる」必要がある。

そういう「信じる力」が俳優にとっての最も重要な要素ということになるわけですが、その信じる力を強力にサポートするのが「イメージ力」です。

皆さんご存知のように、俳優に限らず人間というものは、ウソだとわかっていることを、いくら信じよう信じようと努力しても、全く信じることができないようにできています。ですから信じるためには、「ん?もしかしてこれって本当?・・・かも?」って思うくらいには、脳を「ダマす」必要があります。

まあ「ダマす」というと言葉が悪いですが、要するに「ない」はずのものをイメージの力で「ある」と思える状況にするわけです。もしくは間違いなく「ある」ものを、イメージの力で「ない」ことにするんです。

「自分の脳をダマす」。例えば・・・そうですねえ。昨夜冷蔵庫にプリンを一つ入れておいたとしましょう。で、今日学校なり会社なりに行って、帰宅してからそのプリンを食べるのを楽しみにしていたとしましょう。お昼くらいに家族の誰かがプリンを発見して食べてしまえば、実際にはプリンはもう冷蔵庫に無いわけですが、あなたはそれを知らないから、あなたの脳内では相変わらずプリンは冷蔵庫内に存在して、冷え冷えの状態であなたに食べられるのを待っているし、あなたはそれを食べるのを楽しみにし続けられる。実際には「ない」けれども、あなたが「ある」と信じることは可能なわけです。うまく脳をダマすことができれば。

ただ、俳優の場合はもうちょっと複雑です。上記のプリンの例で言えば、俳優は自分でプリンを食べるか、もしくは誰かが食べたのを知っていて、その上で「プリンはまだ冷蔵庫に存在する」と信じれなければなりません。

その意味で俳優は、「強力なイメージ力」を身につけている必要があります。「無いものを創り出す力」「在るものを無視する力」です。

はい。

やっと読書に辿り着きました。

「無いものを創り出す力」「在るものを無視する力」。この二つの俳優に不可欠な力を身につけるための、いわば「基礎訓練」として、読書は最適です。

本というものは、紙に言葉が延々と印刷してあるわけです。言葉というのは文字で、要するに人間が考えた規則性のある記号です。それが、ただの紙にインクで書いてあるだけです。人間以外の動物が見たら、だだ紙に黒い汚れが付いているようなものです。

そのような「シンプル極まるもの」。それが本です。

そこには本来、音もなければ匂いもなく、美しい景色も素敵な手触りも美味しい味覚だってありません。あるのはただ、紙とインク。それだけです。

しかし人間は、そこに全てを見ることができる。

豊かな音。芳しい香り。息を飲むような絶景や、シルクのような滑らかな手触り。口中に広がるとろけるような美味・・・読書中に感じられるこれらの感覚は、全て「脳」が作り出している。

厳密にいえば、記号である文字を人の眼が見て、その繋がりを単語と認識し、単語の連なりを文と解釈して、その集まりである文章を読解し、主に過去の記憶の倉庫から対応するイメージを引っ張り出してきて、それらを分割結合増強消去しつつその文章にそぐう、自分にとって最も好ましい新たなイメージをほとんど全自動で創出し、そのイメージを積み重ね積み重ねて積み重ねることによって、自分独自で自分専用の、「大いに信じられる世界」がいとも簡単に現出し、リアルな現実感を伴って今まさに眼前で展開する。

これが正しい「読書体験」というものです。

本を読むだけで、脳はこれだけの仕事を、少しも嫌がらずに軽々とやるわけです。

いや、違うか。

嫌がる脳もある、とは思います。

読書嫌い、という人が、少なからずいますから。

でも、俳優にとっては、読書嫌いは致命的というか、本当にもったいないと思います。

だって台本もシナリオも戯曲も「本」ですから。

紙にインクで記号が書いてあるわけですから。

それを読んで、そこからイメージの翼を広げて飛び立ち、自由に飛び回ることができなければ、俳優という仕事はとても苦しいくツラいものになってしまう気がします。

俳優の仕事を楽しむためには、どうしても「イメージを操る力」が必要です。そしてそれは、五感に根差した「信じられるもの」でなければいけません。

そういう力を日常的に育むために、読書という習慣は、信じられないくらい有用です。

読書というのは、たいてい1人で行うものなので、読書しながらどんなイメージを見ようが、なにを妄想しようが全く自由です。そしてその内容は誰にも言う必要はないですし、誰かに正確に伝えられるものでもありません。

だからこそ、パーソナルなトレーニングに最適なんです。人知れず力を付けることができます。そして読書自体が楽しいので苦になりませんし、もともと本という媒体が脳のサポートを必要としているので、イメージ力が付けは付くほど読書は楽しくなります。

ボクは11歳まで1人っ子(そのへんで妹が生まれた)で、基本的にインドア派だったこともあり、小学校の図書室の蔵書をコンプリートする勢いで読破していました。だからかどうかわかりませんが、本というのは最も自由度が高く、最も満足度が高いメディアだと感じます。

あとはラジオドラマ。質の高いラジオドラマは、その辺の映画なんかよりずっとワクワクドキドキさせてくれます。

共通しているのは、誰かが作ったイメージを押し付けられることなく、自分の脳で最良のイメージを組成しながら体験する事ができる点です。

自分の脳が、自分に一番効果のあるイメージを創り出して見せてくれるわけなので、最高でないわけがありません、と思うわけです。

もちろん映画とかドラマを観て、ボクの脳よりもっと上質な脳が考え出したイメージなり映像なりに意表を突かれて心底感心する事もあるわけですが。

 

まあ、そんなわけで、読書は俳優の日常的なたしなみとしては最高に有用だと思います。

そして、俳優じゃない人、特に目指しているわけでもなくて、そもそも演じる必要なんかない人にとっても、イメージする力は色々な役に立つし、精神的なおおらかさにつながると思います。

だって、イメージ力っていうのは、要するに想像力なので。

人間は結局今にしか居れないので、常に未来を想像しながら今の行動を決定しています。

想像する力があるということは、結局未来の選択肢が増えるということにつながっていきます。

 

だから。

とりあえず本を開いて、読んでみましょう。

自分でも意識しないまま、いつの間にかイメージ力が鍛えられます。

伊達に何千年も生き残ってきたメディアではない、ということです。

読書嫌いはホント、もったいない。

 

はい、今日はこんな感じで。

おやすみなさい。

 

ただの紙とインク(本)から脳一つで最高のイメージを生み出せ!
読書は俳優の日常的なたしなみとして最高に有用!
今にしか居れない人間には、未来の選択肢を増やすための想像力(イメージ力)が必要!