嗚呼、松田優作。。。

演技的雑談
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Hello world!nora3です。

前回は、原田眞人監督と岡田准一さんが3度目のタッグを組んだ映画「ヘルドッグス」について熱く語らせてもらったんですけども。

もう公開しましたねー。

nora3はちょっと時間がなくてまだ見れてないんですよね・・・早く観たいなあ。

観に行った人、どうでしたか?

シビレました?

 

 

で、ですね。

上の記事の中で、僕をシビレさせた過去の「フィルムノワール」作品についてもちょっと触れているんですけど、どうもそれで火がついちゃったみたいで、どうしても「この人」について一度書いておかなきゃいけない、って気持ちになった次第です。

誰について書くかって?

それは、「松田優作」さん、です。

 

 

そもそも、少年の頃の僕が、新潟の片田舎に生息していたにも関わらず、将来の職業として「俳優」なんて大それたものを選択したのは、控えめに言って100%のうち120%はこの人が原因です。

その頃の新潟といえば、高校を出て地元で就職するか、頑張って地元の大学に行くか、それとも家業を継ぐか、といった時代で、「東京に出て俳優になる」とか言い出すのは突飛を通り越して頭おかしいレベルです。

田舎の少年にそういう頭おかしい行動を取らせるだけの「なにか」が松田優作さんにはありました。実際その頃には、彼に憧れて「俳優」「役者」を志した田舎者が大量に上京しました。

俳優の養成所なんかで、10人の男に「好きな俳優は?」と聞けば、7〜8人は「松田優作」と答え、ちょっとカジった2〜3人が「デニーロ」とか「パチーノ」とか答える、そういう時代でした。

また、彼に憧れたのは少年達だけではありません。僕が俳優の仕事をするようになって、現場で会うプロの俳優さん達と雑談する中で、彼らの多くも「松田優作」に心酔していることを知りました。好きな俳優を聞かれ、その頃もう松田さんは亡くなっていたので他の俳優の名前を挙げたら、「違うだろ⁉︎ 優作さんだろ!!」と怒られたこともあります。

「男が惚れる俳優」

「観た人の人生を変える俳優」

大げさでなく、「松田優作」はそういう俳優だったと思います。

 

 

実際、彼がいなければ、僕の人生は大きく変わっていたと思います。

彼に憧れて俳優修行を始めて一年が経った頃、僕は北海道のある小さな町の、偶然通りかかった電気店のショーウインドウに鎮座したカラーテレビで、彼の死を知りました。

お昼頃で、テレビではワイドショーをやっていて、僕は歯医者で親知らずを抜いた帰りで、麻酔で腫れた頬を手で押さえながら、呆然とそこに立ち尽くしていました。やがて襲ってくるであろう、歯と心の痛みを強く予感しながら・・・。

親知らずを抜いた日に彼が亡くなった、というのは、奇妙な符号だと、その時僕には感じられました。「俳優になりたい」という気持ちを僕の中に生じさせたという意味において、彼は僕の「親」だったのかもしれないと思いました。

一人前の俳優になって彼と共演したいという夢(彼は”演技に真剣すぎる”という意味で”恐い人”だったので、それは大変勇気がいる夢でしたが)は永遠に不可能となり、僕は一週間ほど心を失った人のように過ごしましたが、「彼の遺志を、継ぐのだ」という思いが育ってきて、心の空白を埋めたことで、また前を向いて、以前にも増して俳優の修行に専念できるようになりました。

「死してなお追従者の尻を叩く」というのは、非常に松田さんらしいことだと思ったものです。

実際、「彼の遺志を継ぐ」と決心した人が、その頃の映画界、芸能界、またそこを目指す卵たちに、数多く存在したんじゃないでしょうか。

それくらい彼は、とても×10「影響力が強い」俳優でした。

 

 

彼のなにがそんなに凄いのか、というのは、今も多く残っている彼の作品を見て貰えば説明不要でしょう。時代が違っても、彼の凄さは間違いなく伝わると思います。

なぜ伝わるかって?

それは「普遍的なカッコ良さ」を彼が体現しているからです。

彼はとにかく、カッコいい。

なにをやってもカッコいい。

でも、例えば木村拓哉さんもなにをやってもカッコいいけど、それとは内容がちょっと違うんです。

カッコ悪い役をやってもカッコいい。

気持ち悪い役をやってもカッコいい。

前回、岡田准一さんの演技がそういう方向を志向しているのでは、という話をしましたが、松田優作さんはその方面の、いわばマスター オブ レジェンドです。

そしてもっと言えば。

力み過ぎでもカッコいい。

歌舞伎みたいに表現過多でもカッコいい。

役の仮面がズレて松田優作がバレててもカッコいい。

正直言って、今大人になった僕が、演技観察者として冷静に彼の演技を観るとすると・・・演技的に破綻している部分がないわけではない。

というか。

演技自体は、そんなに上手いわけではないかもしれない。と思ったり。

エラそうでゴメンなさい(土下座しております)。

 

 

俳優としての素材の部分を見ると、すごく力が入りやすいというか、力みが出やすいタイプなんですよね。

また、肉体派の彼としては意外ですけど、すごく頭でプランを練りに練って、それを計画通りに実行するタイプです。頭で演技するクセがあると思います。

そしてその結果、あまりに表現したいことが多過ぎて、相手役に合わせるよりも自分のプランを実行することに熱中するので、自分本位の演技になってしまう部分があります。計画の実行に夢中になり過ぎて、役ではなく本人が顔を出してる?と感じる部分も少々。

あと一つ。彼自身の美意識が強すぎて、様式美というか、例えば首の角度であったり足の運び方であったり、印象的な動作や表現を”計画的”に演技に付け加えることが多いので、見方によっては、能とか歌舞伎に近い、今で言えば例えば香川照之さんなんかの演技に近い部類の演技になる場合が見受けられます。

演技的に言えばそういう内容なんですが。

 

 

でも、「松田優作」の場合、そんなこと全然どうでもいいんです。

そんなコトもあんなトコロも、全部ひっくるめて、カッコいい。

彼自身はそんな自分の、例えば高身長であることが嫌で、真剣に足を20センチくらい手術して切り落とす事も考えたらしいですが。

でも、もし本当にそれを実行したとしても、彼のカッコ良さは変わらなかったでしょう。

だって彼の持つカッコ良さは「普遍的なカッコ良さ」なので。

 

 

演技的にどうとか、長い手足がどうとか、相手役との意思疎通がどうとか、そんな細かいことを全部吹っ飛ばすパワーで、昭和という時代を鮮烈に駆け抜けた「松田優作」。

まさに39歳で「燃え尽きる」ような生き方を、彼はしたと思います。

その生き方はフィルムに焼き付けられ、生前も死後も多くのフォローワーを生み出し、今の映画界、演技界に脈々と受け継がれているのでしょう。

その結果、その頃に比べれば、日本にも演技の上手い俳優さんが多く出てきて喜ばしい限りですが。

しかし。

あえて言わせていただきましょう。

 

松田優作を超える「俳優」は未だ存在しない、と。

 

 

いつも「良い演技とはなんぞや」「役をつかむとはいかなることか」「そのための技術を身につけるべし」とか言ってるこのnora3@Actingですが、ぶっちゃけると「良い演技」と「良い俳優」はイコールでは結べない、ということです。

もちろん「良い俳優」は「良い演技」ができる可能性が高いですが、例えばプロ野球の選手と高校野球の選手を比べれば、そりゃあプロの方が技術的には上手いわけですが、では観た人が感動するのはどちらでしょう?観た人が惹きつけられるのは?

感動と技術は直接関係ないんです。技術が高いから感動するわけではありません。心が、熱量が、技術を大きく超えた場合にのみ、人は感動できます。

そういった意味で、「松田優作」という俳優は、昭和というあの時代の混沌と狂乱と熱量を身に纏い、自分自身が熱狂しながら技術やら固定観念やら常識やらを蹴っ飛ばして疾走し、そういう姿に男が惚れ(もちろん女性ファンも大量にいたと思いますが)、多くの人の人生を変えるほどの感動を与え得たのだと思います。

「良い俳優」という括りでは括りきれない「凄い俳優」

それが松田優作だと思います。

 

 

若い人で、まだ彼の演技を観たことがない人は、とてもラッキーだと思います。

だって、これから人生が変わるほどの衝撃を受けられるし、これから惚れられるんですから。

幸い彼の出演作が多く残っています。

 

「蘇る金狼」

「探偵物語(TVドラマ)」

「野獣死すべし」

「ヨコハマBJブルース」

「家族ゲーム」

「ブラックレイン」

 

まだまだありますが、とりあえずこの辺を観てください。

彼の「凄さ」がわかるでしょう。

そして、手がジンジンしてブルブル震えるでしょう。

 

彼は「フィルムノワール」の申し子ですから。

 

 

今日は松田優作愛が溢れ出てしまいました、とさ。

おしまい。

 

松田優作 = 観た人の人生を変えてしまうほどの影響力を持った俳優!
技術が高い イコール 良い俳優 ではない!
心が技術を上回った場合のみ、人は感動できる!