Hello world ! Hello Life !
nora3です。
今年からこのBlog、新装開店させてもらったわけですが。
なぜ装いを新たにする必要があったのかと言えば、ソレは、そのう・・・。
ちょっと苦しくなっちゃった、というのもあります正直に言えば。
1年間ずっと「演技」に特化してブログ執筆してきましたけど、それはそれで書き出せばいつも楽しく書けるんですけど、書き出すまでがちょっとキツい、というのがありまして。
「演技のBlog」を運営しているからといって、常に演技のことばっかり考えてるわけもなく、僕も普段は普通に生活してますから、その中で人並みにいろんなこと感じたり考えたりはしてるわけです。
それで例えばちょっと時間がポッカリと空いて、よしじゃあブログでも書こう、となった時に、今まで頭を占めていた日常由来の思考の数々を、なんとか「演技というフィルター」を通し、「演技に関係ある話」として記事にするという過程が、どうにもスピーディーじゃないし、ちょっと無理がある場合も多く、それでも演技は人生を扱う芸術なので、やろうと思えばなんでも演技的に語ることも不可能ではないわけで、そんなこんなで1年間なんとかかんとかやってきたわけですが、やはりこのアプローチでは投稿数が増えないし、どうも書きたいことを直接書いている気がしないという、どうにももどかしい感じがずっとあったわけなんです。
でまあ、発想の逆転というか、演技が人生を扱う芸術でなんでも演技的に語れるのなら、その逆もまた真ではないのかと。
ようするに、人生について深く語る時、それは人間について深く語っているわけであり、演技というのは人間を深く知る一つの方法なので、人生について、人について考察することは、これすなわち演技探究者にとって必要不可欠な論考であり、むしろそこを避けて通れるはずもないのじゃないか、と。
という感じで、正月早々自分に都合の良い論理を日本酒に浸かった脳で捻り出し、「おう、これはなかなか良いかもしれんのう」などど悦に入りなながら、Blogの「看板書き換え」という暴挙に出たわけであります。
「演技に特化している」ということを唯一の理由として、このBlogをご贔屓にしてくださった希少で貴重な読者の皆さんには大変申し訳ない気持ちもないではないのですが、先ほども書きましたように、人、人生、そしてそれについて考え、立ち向かう技術としての演技、そこに立脚して記事執筆は続けていくので、演技求道者の皆さんにとっても、得られるものは少なからずあるBlogになっていくハズでございますハイ。
いや実際、大変ですよ?
これから、この時代に、俳優とかやろうとする人は。
だってやっぱり、どう見ても、僕が子供だった昭和の頃と比べても、絶対世の中全体がどんどん複雑化してると思います。昭和のその頃と比べて、おそらく全てが発達発展し、全てが便利になっているはずなのに、なぜか実際には今よりあの頃の方が人々はのんびり暮らしてて、たぶんおそらく間違いなくもっと時間がたくさんあった気がします。
短い時間でアレもコレも片付けられるようになったから、じゃあ余った時間にコレ突っ込んで、まだなんかできるからコレもやって・・・みたいな感じで、仕事でもプライベートでもせっかくできた余白に細々となんか詰め込んじゃって、「スキマ副業!」「一日たった30分で!」みたいな情報に煽られて、「あの情報が正解かソレともコッチか?」とか「生き残るためにとにかくスキルを!」とか言って、自信なく右往左往する人々。
僕が子供の頃に、新潟県では「餅まき」というのがあって、どこかで家を建ててて、棟上げが終わると、屋根の上から餅やらお菓子やらを盛大にまくんですね。それは子供達にとってかなりな楽しみで、みんな学校が終わるとその家に集まって、歓声をあげて餅に群がってました。中でも「仮面ライダーカード」ってのがあって、普通はお菓子一袋買うと一枚カードがついてくるんですけど、餅まきの時は、そのカードを輪ゴムで束にしたヤツをドーンとまいたりしてたので、子供たちは阿鼻叫喚の渦の中で、泣いたり笑ったり怒ったり大興奮でもう大変だったんですが。
何の話かって?
外国のことはよくわかりませんけど、今は日本全体が「餅まき」状態になってしまったような感じです。餅やカードがどこに落ちてくるかの「情報」を握った者が勝ちで、誰がその情報を持っているのか、どうすればそれに近づけるのか、みんな疑心暗鬼になり、偽の情報に騙され踊らされて疲弊していく。真偽の見分けがつかない情報が多いので、自分が今取り組んでいることが本当に正解なのか不安になり、アッチにもコッチにも手を出したり首を突っ込んで、自分が何をやっているのか、本当は何がやりたいのかがわからなくなっていく。
今の日本人は「のんびりすること」すらできにくくなってしまったんじゃないんでしょうか。
人と比べて「損か得か」ということが、大きな判断基準として社会に根付いてしまった。
せっかく休みを取ってディズニーランドに行ったって、のんびりしてる人なんかあんまりいない気がします。開園から閉園までのスケジュールを分刻みで立てて、その通りに予定をこなしていき、食事もそこそこに、一つでも多くのアトラクションに乗り、パレードやショーをコンプリートし、人よりも得をした気分と引き換えに大きな疲労を背負いこむ。
別に懐古主義で書いてるわけじゃないんです。あの頃の方が良かったとか言うつもりはないし、言ったって何にもならないことはわかってます。
ただ言いたいのは、これからの時代を生きる人達は大変だなあ、そしてそういう人達を演じる俳優も大変だなあ、と言うことです。
「損か得か」の話に通じますけど、例えば「自己犠牲と自己実現」。
日本人の中で、この辺に関する価値観がゆっくりと、でも大きく変わろうとしていますよね。
社会の中での「自己」のあり方に関する部分なので、その人格の構成要素の大きな部分を占めると言えます。
そこが変わってきてるわけなので。
それを演じる俳優も、そりゃあ大変です。
大変ですが、例えば「自己犠牲と自己実現」に関して、チェーンソーマンの「デンジ君」を対象としてじっくり考えてみたりすると、俳優にとっての良い訓練になるかもしれません。
まあ、こんな感じで、今ふと思ったことをツラツラ書きつつ、そこに演技的見解も時々絡めて、みたいなスタイルで今年はやっていこーと思います。
コレだと、今までよりずっと楽なので、Blogの更新回数が増えると思います。
えぇ?
ホントにぃ?