Hello world! Hello Life!
nora3です。
えー。
最近は今年から始めた禁煙や、ハマりつつある腸活など、健康に関する話題が多かったんですが。
今日は、初心に戻って、ちょっと演技の話をしたいと思います。
演技の中でも、日本人俳優が最も苦手とする、嬉しハズかしの「ラブシーン」というものについて、語ってみたいと思います。
Netflixで、まだ未見だった『エルピス—希望、あるいは災い—』というドラマを観てたんですけど。
その中に、長澤まさみさんと鈴木亮平さんによる、日本のドラマや映画ではなかなかお目にかかれないような、いい感じのラブシーンがちょくちょく出てくるので、「ほほー。ついに日本人も普通のラブシーンを普通に演じられるようになってきたんですなあ・・・」と感慨深く感じて、それに触発されたわけですが。
そもそも、なぜ日本人はラブシーンが苦手なのか。
昔、nora3がまだ演技修行に明け暮れていた頃、ロサンゼルスから日本に演技のセミナー開催のために来日していた女性講師の方と飲んでいた時に言われたことがあります。
「日本人は本当にラブシーンが下手だわね」
その発言は、僕たち日本の俳優の卵はラブシーンが下手だ、という意味ではなく、彼女が観た日本のドラマや映画を通して、その時点でのプロもアマもひっくるめた彼女の率直な感想として、日本人はラブシーンが下手だ、と言っていたんです。ちなみに彼女はロスでも多くの俳優を育てていて、日本にも定期的にやってきて日本人の演技についても造詣の深い指導者でしたが。
実際彼女は、後日僕たちに対して、男女ペアになって即興でラブシーンを演じることを命じ、日本の卵たちはそれぞれ奮闘したものの、そこで何か特別な瞬間を生み出すことはほとんどできませんでした。
それで僕も痛感したわけです。
「ああ。日本人って、絶望的にラブシーンが下手なんだなあ・・・」って。
「そうかなあ?日本人だって、キスシーンとかエッチシーンとかやってるじゃないドラマとか映画で。別に下手とか思わないけど?」という人もいるかもしれません。
そうですね。きっとそう思う人も少なからずいるでしょう。
日本の俳優だってそりゃあプロだし、ギャラだって発生してるんだし、その作品に必要不可欠なシーンであれば、やりますよね、キスシーンとかベッドシーンとか。
唇と唇が触れて、それをカメラで撮影すればそれはキスシーンだし、一緒にベッドで寝ている所を撮影すればそれはベッドシーンなわけで、それは日本人にももちろんできるし、やってるわけです。
もっと言えば、日本には世界に誇るAV文化だってあるわけで、ストーリーに沿って「実際に行為を行い、それを撮影し、作品にする」こと自体は苦手どころか、どちらかといえば得意なんじゃないかと思えるフシすらあります。失礼。
では、日本人はラブシーンというものの、どの辺が苦手でどの辺が下手なのか。
どうも日本人は、「ラブシーン」というものを特別視しすぎるところがあると思います。
それはおそらく日本人に植え付けられた「そういうものは当人たちの秘事で、神聖もしくは淫靡なものであり、人に見せるものではないし、他人のそういう部分を詮索するのもよろしくない」という感情や意識や常識が、令和のこの時代になっても、心の、もしくは脳の深い部分に棘のように刺さって残っているところに原因があるような気がします。(これはたぶん植え付けられたもので、江戸時代までの日本人の性や恋愛は、もっと大っぴらで開けっ広げなものだったようですが・・・)
そういう感性の成立には、今さら言うまでもないことですが、島国の単一民族である日本人が、社会の多様性よりも社会の単一性(人と同じであることを求め、同じであることに安心する)を重視し、地域の中で浮かないように目立たないようにモラルや道徳を重んじて生きてきたことも大いに関係しているでしょう。
なので日本人は、公衆の面前で、もしくはカメラの前で、そういう「愛の行為」を行うこと自体になかなか抵抗があって、まあ苦手なわけです。(前出のAVの例のように、苦手を克服し、得意にする試行錯誤と勤勉さが日本人にはあるわけですが。)
で、だから、特別視しすぎてしまう。カメラの前で「ラブシーンをする」ということを。
ラブシーンは、「ラブ」と付いているけども、ただのシーンです。
食事をしてれば「食事シーン」。
アクションしてれば「アクションシーン」。
風呂に入ってれば「入浴シーン」だし、長台詞を喋れば「独白シーン」。
で、キスをしてれば「キスシーン」で、SEXしてれば「ベッドシーン」。
そして、恋愛してるから「ラブシーン」。
演じる側としては、なんの違いもない。
ただ、人間の行為行動の一つです。
それを、他のシーンや他の演技と同じように、ただ淡々と準備をし、一瞬先を知らない今を生きる人間として、ただ演じればいいんですが。
構えすぎ。
力入りすぎ。
なんか特別な事してる感出し過ぎ。
だから何も生まれないんだと思います。
恋愛してるはずの二人から何も生まれてこないなんて、あり得ません。
皆さん恋愛した事ありますよね?
二人で見つめ合う一瞬一瞬に、もしくは触れ合う一瞬一瞬に、ものすごい数の思いや感情や衝動が生まれてきませんか?
彼女(彼)の声。
彼女(彼)の髪。
彼女(彼)の睫毛。
彼女(彼)の指。
彼女(彼)の首筋。
彼女(彼)の鎖骨。
彼女(彼)の肌。
そして彼女(彼)の香り。
あまり言うとキモいのでもうやめますが。
それらの一つ一つにハッとして、ドキッとして、夢中になって我を忘れて、一瞬一瞬にものすごく集中しませんか?
一瞬がどんどん切り刻まれて、一瞬の中にものすごい情報量が無理なく入ってしまうような感じです。
「一瞬の中に永遠がある」という言葉がありますが、人は恋愛した時に、そういう感覚に一番近づくんじゃないかとボクは思っているんです。
仏教で言うところの「悟り」に近いものがある。
ボクの解釈では、仏教の「悟り」と言うのは、今の一瞬に着目してそこに集中し切ることで、一瞬がどんどん切り刻まれて永遠のようになり、そのため過去も未来も消えて今だけとなって、自己と他者を区別する「分別」も止まり、結果的に宇宙大の大きな「たったひとつ」に全てが融合されていく、ということだと思ったりするんですけど。
さすがに過去と未来が消えちゃったり自分と他人の区別が無くなるっていうのは、なかなか起こることではないと思いますが、一瞬がどんどん細切れになって、永遠みたく感じるっていうのは、結構あるような気がします。
有名な、絶好調の野球選手が「ボールが止まって見えた」って言う、あの話なんかもきっと同じような状態なんだと思います。
そういう、なかなか普通の人には起こらないような「スーパーな時間」が、しかし恋愛をしている場合に限っては、ボクら一般人にもしばしば起こったりする、ということなんじゃないかと思います。
恋愛というのは、普通の人々がスポーツのスーパースター並の集中力を発揮してしまうほどの「臨戦状態」であり「没頭の一瞬」であり、色んな意味で正に「本番!」であると言えます。
ちょっと具体的に考えてみましょう。
恋愛している二人が対峙すると、目に見えない、二人にしかわからない化学反応が、まず二人の内面に起こり始めます。内面の変化は身体に変化を与え、例えば瞳の深さや、肌の血色や体温、なんとも形容できない微妙な仕草や吐息に現れ、対峙する相手にとってはそれらが見逃せない一瞬の刺激となってドンドン今が刻まれて、ドンドン集中していきます。そしてその視覚や触覚、嗅覚の刺激がまた身体に影響を与え、変化し、その変化がまた相手を刺激して、今が刻まれ、深化し、ドンドン他が見えなくなって、二人だけの世界の中に没頭していく。
そして、「自分」と「他人」であったはずの二人の間の「壁」はどんどん薄くなり、やがて溶けて無くなったように感じられ、恋人達は「私たちはまるで、二人で一人のようだ」などと感じるようになります。
仏教の悟りのように、宇宙全部がひとつになるわけではありませんが、少なくとも二人をひとつにする力が、恋愛にはあるわけです。
で、です。
そういった恋愛行為の最中に二人の内面で起こっている、二人にしかわからないような変化、そのプロセスを、俳優は演じなければいけません。
いけないんですが・・・まあ下手かなあって思うんですよね、日本人の場合。
キスとかSEXといった行為にばかり頭がいって、「クチビルは開けるべき閉めるべき?」「舌はどうする?」「この角度だとバストトップが」とか、そんな事ばっかり気にして、ラブシーンに絶対に必要な内面の繊細な演技がほとんどお留守になってる。お留守どころか、全く考慮されていない場合すらあります。必要性に気づいていないというか。
普通のシーンとは違う、なにか「特別なシーン」をやってるような感じが強くあるんですよね。
そして本人達は特別な何かをやっているつもりなのに、結果としては「そんなキスシーンだったらいらねえよ」「なに?このベッドシーンいる?』みたいな、ただキスしてるだけ、ただ寝てるだけの、事実関係を説明するだけで何も「生まず」何も「感じない」シーンが量産されてるわけです。
例えば普通の「食事シーン」を演じるように「ラブシーン」も演じるべきです。ただ食べりゃいいってもんじゃないでしょう?食べる行為だけでなく、食べ物を口に入れて、味が口中に広がり、それを脳がどう感じて、それが身体にどう影響して、どう次の行動につながっていくのか。そこを演じるのが演技です。よね?
ちょっと脱線します。
最近観てた韓国ドラマで『イルタ・スキャンダル』ってのがあって、めっちゃ面白かったんですけど、その中にチョン・ギョンホさん演じる数学教師が出てくるんですが、この人は摂食障害があって何を食べても吐いてしまう人なんですよね。その彼が、チョン・ドヨンさん演じる惣菜店の店主が作ったお弁当を初めて食べてみるシーンってのがあるんですけど。
このシーンでの彼の「食べる演技」はお手本になります。最初恐る恐るひとくち口に入れ、噛み、味が広がり・・・そのあと彼の内面で起こる変化、それが身体に与える影響、そして行動が変化していく様を、彼は見事に演じています。
参考になるので、まだ観ていない人はぜひ観てみてくださいね!
で、『エルピス』です。
散々日本人の「ラブシーン下手」について書き散らしてきましたが、このドラマの長澤さんと鈴木さんのラブシーンには、ボクはとっても好感を持っているんです。
お二人は、良いラブシーンに不可欠の、誰にもわからない、視聴者にも、もちろんボクにもわからない、二人だけの「化学反応」の部分を、しっかりと「意識して」創ろうとしていると思います。
そして実際、創れている。
恋愛をいうものが、どういう構造をしているのか、考えて、知っているということだと思います。
さすがは日本を代表する実力派俳優のお二人ですから、高いレベルのことを、「自由に」「余裕を持って」表現されていて、日本のドラマではなかなか観れない素敵な「信じられる」ラブシーンになっていると思います。素晴らしい。
こちらも、まだ未見の方は是非是非観てみてください!
というわけで、「ラブシーン」というものについて長々と語ってきましたが、江戸時代まではもっと開放的だったはずの日本人の性や恋愛に関する価値観や、AVに代表されるような苦手を得意に変える探究心や試行錯誤、勤勉さを考えると、今後は日本のドラマや映画の中で外国人も驚くような素晴らしいラブシーンがたくさん観られるようになっていくのかもしれませんね!
期待して待ちたいと思います。
ハイ本日おしま〜い。