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梨泰院 VS 六本木!明暗を分けたカギとは?

演技的雑談
この記事は約12分で読めます。

Hello world!nora3です。

ちょっと忙しくて更新が滞ってしまいましたが。

いやあ。

ついに完結しましたねぇ。「六本木クラス」

最初ちょっとグダグダな感じで始まった風だったので心配しましたが、その後なんとか持ち直し、中盤から最終回にかけてはある一定のライン、今回の秋ドラマでいえば1番面白いと言えるレベルまで盛り返してきたように思います。

キャスト、スタッフの皆さん、さすがです。お疲れ様でした。

楽しい時間をありがとうございました。

 

 

でですね。

上の記事は「六本木クラス」開始時に書いた記事ですが、「梨泰院クラス」と比較して「六本木」をアレコレ評価してしまいたい気持ちが滲み出てますけども、しかしいかん、全て終わってから評価しなければ公平ではない、ガマンだ、ここは貝のように口を閉しガマンあるのみぃ、となんとか踏みとどまったわけですけども。

それがついに終わったわけで、もうガマンの必要もないわけなので。

なので、本日は「梨泰院」「六本木」両作品とも全話踏破した強者として、やっと好き勝手にアレコレ語っても許される身の上になったワタクシが思う存分に語らせていただきたいと思います!

今までガマンしてて良かったナー。

 

では、貝が口を開きます。

まず最初に言っておくべきは、「梨泰院クラス」は今をときめく韓国ドラマの中でも「巨星」であり「大成功例」であり「チャンピオン」であるということです。

僕の韓国ドラマ視聴歴の中で言えば(まだそんなに長くはないんですけども)、「愛の不時着」「梨泰院クラス」「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は韓国ドラマ界の「三横綱」とも言える存在です。

その立派な横綱である「梨泰院クラス」を日本でリメイクするということ。

それ自体が壮大なチャレンジであり、最初から成否が見えないある意味無謀な「冒険」であったと言えます。

 

さて。

大冒険の結果はどうだったか。

やはり放送回数と1話にかける時間、CM無しの構成等、日本と韓国の作品制作に対するスタンスの違いの差は大きかったと言わざるを得ません。

以前にも「ミセン」の記事を書いた時に言及しましたけども、韓国の手法では「人物の背景の深掘り」に、日本では考えられないほど贅沢に、時間をかけます。

一見無駄に見えるそれらの「断片」が、長い放送時間、放送回数の中で積み重なり、強固な「人物の背景」となっていて、観る人に人物の言動や話の展開を信じさせ共感させる基盤となっているんです。

 

 

対する日本側は、オリジナルのストーリーであればまだやりようはあるのですが、今回は「梨泰院クラス」という原作があったため、その膨大な時間と濃度で語られる物語を、限られた回数と時間の中に詰め込み、CMを挟みながらもなんとか観客の気持ちを切らずに引っ張って、ある一定のレベルのゴールまで辿り着かなければいけないという、ある意味インポッシブルなミッションに取り組む羽目になりました。

これを普通にやろうとすれば、まずはドラマ全体の構成を見て、特に無くてもなんとかなりそうなシーンを丸ごとごっそりと捨てて、その後残った必要なシーンから、いわゆる「余韻」や「間」といった無くても意味が通じそうな、一見情報が含まれていないような部分を、これまたどんどん切り捨てて、それでも足りなければ二つのシーンを一つにまとめ、説明不足な部分は役者のセリフで補足して、ツギハギだらけになるけれども、なんとかそれらの整合性を高めてストーリーが流れるようにスムージングし、「大丈夫だよね?これ観客ついてこれるよね?」としばしば確認しながら、規定の時間内にパッケージングすることになります。

そして実際「六本木クラス」は、これらの手法を駆使して制作されていました。

 

日本側の狙いはただ一つ。

それは「梨泰院クラス」の「ジェットコースタームービー化」だったはずです。

それしか「六本木クラス」が「梨泰院クラス」に勝つ方法はなかったと思います。

あたかも来月行われるサッカーW杯初戦のドイツ VS 日本のように、重厚で巨大な相手に対し、機動力を活かし、短い時間で効果的に攻撃する「ショートカウンター」のような戦い方。

長い時間ボールを持ち、ジリジリと圧力を増してくる相手に対し、機動的に対応し、要所を手厚く守り、機を逃さず切り込みボールを刈り取り、テンポよく短いパスを繋いで時間をかけずに相手ゴールに迫る。

その戦い方。

それができれば。

それが「六本木クラスジャパン」の狙いだったと思います。

 

戦いの結果はどうだったか。

それら日本側の必死の作戦と取り組みは、全13話の序盤は結果として上手くいっておらず、ツギハギの繋ぎ目や引っかかりがギクシャクと残った仕上がりで、「ジェットコースタームービー」というよりは「ダイジェスト版」といった方が近いと感じられてしまう、個人的には残念なものでした。

作品自体がそういった仕上がりだったので、観ている方もかろうじてスジを理解するだけに留まり、人物への感情移入や共感や、ましてや感動にまで至ることがなかなか難しかったと言わざるを得ません。

サッカーで言えば、ショートカウンターをしたいけれども、それ以前にプレスが全くかからず、右往左往するばかりでボールを持てないような状態でしょうか?

必死の頑張りが空回りして、相手に余裕の攻撃を許し、前半戦は3-0ドイツリードで折り返し、といった感じだったと思います。

 

それが試合中盤以降、だんだんプレスがかかるようになってきた。

ボール(観客の心)を持てる場面が増え、ショートパス(短いシーン)がスムーズに、テンポよく繋がるようになってきた。

同時にボールを持てる人(観客が感情移入できる役)も出てきて、局面によって(大事なシーンに)時間をかけたり、また速く攻めたり、緩急も効果的に使えるようになってきた。

時間に縛られた「ダイジェスト版」でしかなかった内容が、「ジェットコースター」的な緩急を得て、時間を手懐け、時間を操り、同じ時間に「生きた情報」を多く入れ込めるようになってきた。

個人技によるトリッキーなプレー(馬鹿なこと言いなさんな!とか)も生まれ、選手(俳優)がノってプレーできる状況になってきた。

それら各要素は互いに影響しあい、お互いがお互いの効果を高めて、複合的総合的にチーム状態(作品としてのレベル)が改善されてきた。

サッカーであれば、こちらがやりたいことができてくれば、その分相手がうまくいかなくなったりしてくるわけですが、これはドラマですから相手の作品は既に完成して固定されており、こちらの状況が良くなっても、相手は変わらず巨星は巨星のままであり続ける、という違いがあります。

それでも、重厚で最強のまま揺るがない軍艦に対し、小回りのきくゼロ戦で素早く間隙をつくような攻撃で、いくつかの戦果を上げることもできていたと思います。

 

そして、ピーッと笛が鳴って試合終了。

後半の「六本木クラス」には勢いがありました。

サッカーで言えば、少ないチャンスを生かして、あのドイツから3得点、といった感じです。

しかし、その間にドイツも確実に2得点はしていて、試合としては5−3で日本の惜敗ということになりそうです。

もちろんドラマですからホントは得点とか無いので、観る人の主観によって評価はまちまちなわけですが、僕の印象的にはそうなります。

しかも、もし次こそ勝とうと思うなら、埋めるべき差は決して小さくはない、と見ます。

その差は、俳優個人の努力だけでなんとかなる種類のものではなく、ドラマ制作を取り巻く環境、ドラマの制作システムそのものの差が大きいです。ドラマ作りに対するスタンス自体を変えていく必要があると思います。

次に勝とうと思うならば。

 

それでも今回は、あの開始直後の状況から、よくここまで盛り返したと思います。

スタッフ、キャストの皆さんには拍手を送りたいです。

特に、がんじがらめの状態から少しづつ、そして加速度的に自由になり、個人技でチームを引っ張り、輝いた3人のキャストについて言及しておきたいと思います。

 

まずは宮部新役の竹内涼真さん

本家韓国版のパクセロイに寄せることなく、自分なりの解釈で宮部新を演じ切りました。人気作品のリメイクの場合、普通なら無意識に保険をかけてしまい本家に寄せがちになることが多いと思いますが、竹内さんはパク・ソジュンさんの作った役を真似ようとはしませんでした。誰かの模写ではなく、ちゃんと自分自身の心と身体というフィルターを通して、宮部新を”新たに”生み出しました。結果、「コミュニケーションが苦手で、何を考えているかわからず、基本的に他人を必要としないセロイ」に対し、「コニュニケーションを大切にし、考えや感情がすぐ表に出て、基本的に人が大好きな新」という、ある意味真逆のアプローチで役に臨み、ちゃんと魅力的な役として成立させ、他のキャストを引っ張るだけでなく、僕たち観客の興味もラストまで引っ張り続けてくれました。最終回で長屋茂に土下座をさせなかったのは・・・僕はたぶん竹内さんのアイデアなんじゃないかと思うんですが・・・素晴らしいです。あの場面こそパク・セロイと宮部新の違いだと思います。「馬鹿なこと言いなさんな!」も大好きでした。今回竹内さんの役に対する取り組み方を見せていただいて、日本を代表する俳優としてのプライドを感じることができました。ありがとうございました。

次に麻宮葵役の平手友梨奈さん

今までいくつかの映画やドラマで平手さんの演技を観て、その度に「この子の存在感はハンパない!」と感じてきましたが、今回もそれを感じることができました。平手さんが演じることが多いのは、どこか影があって、基本人と群れず、常になにかと戦っているような役。今回の麻宮葵も一見そうですが、実は違う点がいくつかあります。一つには葵には「影」が無いこと。もう一つは、戦っている相手が「退屈」だということ。そして一番大きな違いは、行動の原動力が「恋愛」だということです。結果として平手さんは、韓国版でキム・ダミさんが演じた本家チョ・イソ に「寄せていく」アプローチをとりました。ただ寄せるだけではなく「寄せて超える」ことを目指したのだと思います。竹内さんがパク・ソジュンさんのパク・セロイにあえて寄せなかったのと正反対のアプローチです。演技的に見ると流石にキム・ダミさんは上手いのですが、平手さんは役の理解(ソシオパス含む)・解釈(ルックス含む)の部分で善戦し、今回も存在感が輝いて、チョ・イソ以上にチョ・イソらしい麻宮葵を誕生させました。ドラマ好きの韓国の人達も、葵を観て「わお!これこそチョ・イソだ!」とびっくりしたと思います。ありがとうございました。

最後に、新のお父さん、宮部信二役の光石研さん

竹内さんにしろ平手さんにしろ、不利な環境の中で自分にできることを最大限にやり、チームを引っ張って大活躍だったわけですが、それは例えば「パク・ソジュンに勝った」「キム・ダミに勝った」ということではなく、強大な制作システムの中で自由に演じた彼らに対し、竹内さんはジャパンオリジナルの役作りで、平手さんは本家以上を追求する役作りで、「負けなかった」「一矢報いた」ということなのですが・・・光石さんだけは違っていました。僕の個人的見解になりますが、光石さんは明らかに「勝って」いました。「ああ、この人が父親だから、宮部新はこういう風に育ったんだな」と完全に納得できました。最後の橋のシーンでは、本当に神々しいほどで・・・平手さんと共に、本家「梨泰院クラス」のキャストとして推薦したいくらいです。ぜひパク・セロイも光石さんに育てて欲しいです。勉強になりました。ありがとうございました。

 

上記の3人が、前出の5-3のサッカーの、貴重な3点を決めた人達です。

他の日本側キャストの皆さんもとても頑張っていたと思います。

思いますが・・・すみません、ちょっと苦言を。

これは厳密には俳優の問題ではないんですが・・・超抽象的にマンガに例えて言えば「チェンソーマン」に「カツオくん」が出てきたらいけないと思うんです。いや「イニシャルD」に「のび太くん」でも「ゴルゴ13」に「野原しんのすけ」でもいいんですが、とにかく登場人物たちは「同じ世界観」の中に生きていないといけないと思うんです。言ってることわかりますかね?

いつも言うように、韓国は「国主導的ワールドワイド基準」であり、俳優はエリートとして選抜され演技を大学で学問として学び、粒も質も揃っている。それに対し日本は「草の根自然発生的ガラパゴス基準」であり、小劇場、新劇、歌舞伎、アイドル、タレント、芸人、モデル等、アチコチからアレコレの基礎や方法や様式を持つ、もしくは持たない人たちがキャスティングされて集まりますから、粒も質もバラバラなんです。

 

 

その上日本のドラマの場合はたいした稽古もなく撮影に突入します。現場では良いところを見せて次の仕事に繋げたいから、みんな自分の得意な演技をしたりします。だから同じドラマの中なのにまるで生きている世界が違うような質やテイストのチグハグが起こるわけです。

残念ながら「六本木クラス」でも同様の問題が見られました。キャスティングとディレクションの問題が大きいですが、俳優の問題でもあると思います。

 

今回「六本木クラス」が「梨泰院クラス」に惜敗した理由をはっきり言えば、それは「繋がり」が見えるか見えないか、ということです。

「梨泰院クラス」は「繋がりオバケ」であり、そこが韓国ドラマの横綱に君臨する最も大きな理由なので、本家以上に登場人物同士が繋がることができなければ勝てないというのは最初からわかっていたことです。

いや。

本当にわかっていたんでしょうか。「梨泰院クラス」のなにがスゴいのか、ちゃんと分析できていたんでしょうか。もしスゴさの意味がわかった上での「六本木」だとしたら、これはキャスティングとディレクションの大ポカでしょう。

そして俳優さんの中にも、それがわかっていないか、わかっていたとしても全く考慮していない人が見受けられたことは、とても残念に感じました。

 

日本側がそんなことをしているうちに、韓国ではまた新たな「繋がりオバケ」が生まれています。

こと「繋がり」ということだけで見れば、梨泰院クラスを凌駕しているかもしれません。

 

「私たちのブルース」

 

観てみて下さい。

「繋がって」ますから。

 

梨泰院 VS 六本木!六本木惜敗!次こそ勝つにはなにが必要か考えるべし!
ドラマは役作りの品評会ではない!繋がれない役など捨ててしまえ!
シナリオもキャスティングも役作りもディレクションも、全ては「繋がる」ためにある!

 

 

 

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